第22回 写真『ひとつぼ展』審査会レポート
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第22回写真『ひとつぼ展』
公開二次審査会 REPORT
潮目が変わるか。半数に達したデジカメ作品
第22回は「分岐点だった」といわれるかも?!
■日時 2004年3月17日(木)18:10〜20:40
■会場 リクルートGINZA7ビル セミナールーム
■審査員
大迫修三(クリエイションギャラリーG8)
〈50音順・敬称略〉
■出品者
〈50音順・敬称略〉
■会期 2004年3月15日(月)〜4月1日(木)
「もっと何かを大切にしてほしい」
18:10 選考に残った10名のプレゼンテーション、質疑応答が開始する。緊張した面持ちの出品者。わきの甘さにすかさずブローを入れる審査員。
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かんの
制約ある中、枚数と光の状態を見せたいので(開催以来初めて)モニターのみの展示を行なった。デジカメ撮影し、ネット上に投げ出す作業が、いま面白い。取るに足らぬものから世界を見続けたい。
――映画ともTVとも違う写真を、観る側から考えたことある?(平木)
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中山
都市の様相、特に都会らしさと人の生活が噛み合っていない、都市の郊外に関心がある。今回は多摩センターを中心に撮影を行なった。街と人の、互いのよそよそしさ、不釣合いさを、もっと出していきたい。
――軽さがいいんだけど、何かへの反発で軽いのか、単に軽いのか。(金村)
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望月
出品したのは、時間の経過に伴う自分の内面変化を記録した作品である。時の経過や流れを表すのに、平面構成は適さないと判断し、写真と観客、一対一で見せる力が強く、『ひとつぼ展』で前例のない、本の形を試した。
――タイトル、気に入っているんですか?(小林)
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鏡
去年バイクで日本一周し、阿蘇山で撮った写真がキッカケになり、いまの作品につながった。そこに集まる観光客のとる仕種や行動が、その場所を観光地らしく見せている。それが自分には「フェイク」だと思える。
――写真が現実共有の手段という認識は、常識としてあったわけ?(平木)
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佐藤
カメラはペンタックス6×7、自宅でのプリント。僕が撮る現実は99%が僕以外の存在で成り立っているが、1%を自分の意志で掴み取って構築することに興味があり、そんな作品になっている。
――眼と物の関係、独特だね。何に惹かれてトリミングしたの?(葛西)
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元木
社会から隔絶された大学構内という空間を一年間撮り続けた。通学者は個々に学籍番号を与えられ、何も考えず行動し、ある意味カラッポだ。前作は銀塩だったが、今回はいまの時代のカメラ(デジタル)を使った。
――アナタ悪意あるでしょう? 被写体も撮り方もジャンク。(金村)
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戸田
展示内容は、学校時代に同級生だった、現職のお坊さんと彼のお寺。富士山麓の水が綺麗な場所なので、町も被写体にしていきたい。木という経年したものに惹かれ、墨を二度塗りして、写真の後ろに貼った。
――僕ならアルミなど硬質な額装にするな。古っぽい色はわざと?(葛西)
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増山
羽田空港近くの海浜公園で撮影した。飛行機を見る目的で通ううち、同じようにそこに来る家族、カップル、休憩する人などに、自分でも理由のわからない特殊な共通点を感じるようになり、写したいと思った。
――どうしても作家になりたい欲はない? それが強味なのかな。(葛西)
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菊地
移動していて出会う、変だと気になる、引っかかることを、文章や映像よりシンプルに形にできるのが、写真だと思う。人にもその引っかかりを示せるよう、独善的でない表現を心がけた。仏教をテーマにしてみたい。
――(セレクトの)繋がりがわからない。そこに仏教が出るとよけいに(小林)
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オノ
障害者の兄がいる自分の家族全員を、35mmで撮っている。兄も自分にとって家族の一員だから、辛い写真にしたくはなかった。ストレートにオーソドックスに見せたいので、展示は額装で。
――家族を離れても撮りたいものある? どんな広がり?(平木)
「審査員が試されている」
19:10 休憩をはさみ、審査討議に入る。人いきれにより、会場は酸欠気味。まずは今回の審査進行上、避けて通れない議題が、総評に替えて示された。「この3回くらいの間、デジタル写真の比率が、応募者全体の2割くらい。それが、第22回にきて出品者の約半数、2人に1人(最終10名の中でも、5人)が、デジタルになりました。暗い所で撮れる、隠し撮り可能である等、デジタルだから撮れる写真もあり、写真概念の変化を促しています。きょうは審査員の皆さんに、その功罪を語って頂きたいと思います」(司会・大迫)、「一次審査中に、小林さんと議論した。デジタルだから面白いというけど、そういう写真はもういいよって。覚悟がなくて、いろんな瞬間に入っていける。面白いという成り行きだけに、流されていっていいのか。混乱している。今回、審査員は、審査しているというより、審査されているんですね」(平木)、「僕は自分でデジカメを使っているけど、ケミカルの方が、写真の歴史は長く、そこから移行してきた。若い人がデジカメで撮ったものを見ると、単純に凄く面白い。既存の写真と少し違うニュアンスがある。少しというが、写真家はその少しの違いを強く意識する。デジタルだから簡単手軽、覚悟がないというのは、実際使えば判る誤解。ピントは合い難い、シャッターは遅れる、逆にいろんな障害がある。僕はむしろ、なぜ若い子がデジタルを選んだか見てあげたい、肯定的に」(小林)、「フィルムとデジカメの唯一大きな違いって、痕跡があるかないか。物質感の有無。デジタルは物質じゃないですからね。オリジナルという概念、モノが一切ないところで写真やるのは一体何なのか、まだ見えてきてない。ある意味、デジカメは写真を終わらせてしまうほどの強さがある。それに対して今回、フィルムの写真が、もの凄くきれいかっていうと、そうでもないのが非常に困る」(金村)、「僕もこれまで、アナログかデジタルかって論議を、様々な場面でしてきたけど、既に一周して、同じベースにホントは載ってないんだけど、載らざるを得ない感じになっていまして。前は否定的で違うもんだと思ってたんですよ。一球入魂がないっていうか。さっきから聞いてると、たくさん並べることで何かを表現したいというふうになってしまったんだな。以前なら、数は後回し。デジカメの出現で、行動も変えさせられている。音楽やデザイン、他の表現物も同じことがいえる。でも表現は自由だし、手に入れた表現で
もある。いまは画質等は一度忘れ、少し距離を置いて、様子見する感覚がある。一抹の寂しさはあるけれど」(葛西)、「僕はもともとプリントだけが写真じゃないと、ケミカルの頃から思ってました。写真は様々な媒体にコピーされますよね。デジタルになろうと新聞紙に刷られようと、いいものはわかる。そこを見る」(小林)、「写真って行為でしょう。与えられるものや向こうから来るものを受容するには、デジカメは適してると思うけど、能動的な凶器である道具を求めようとすると、物足りない」(平木)、「絵を描くとき色出しにかかる時間は、創作活動じゃなくて、根っこの何かを掘り起こす、体感する作業だよね。予め用意されているサンプル・メニューから、使う色を選ぶデジタルは、試行錯誤のないのが勿体無い。と同時に、思考スピードも、生まれる双方向性も、まるで違ってくることは面白がっていい」(葛西)、「自分もリバーサル・フィルム使って、あえて手わざを拒んだ時期があるのは、いまのデジタルと変わらないと思う。手作業の有無が、写真の良し悪しじゃない」(小林)、「カメラは自分の手の延長のように扱えない難しさがあるから、批評性が出る。デジタルもそれは、批評性を持てるものだと思うけれど。今回の出品をみてると、新しい手であるかのように勘違いして、安易に楽観的になっていないか、気になる」(金村)。
19:25 続いて、グランプリ選出に向けた、作品の個別審議に移る。
かんの/「紙焼きで見た時と比べ、画像の甘さが気になった。何でこんなにピンが来てないんだろう、入り込めなかった」(大迫)、「モニターが悪いのかな。審査した時に感じた段々迫ってくる迫力が消えて、ガラスの向こう側というふうに見えてしまった」(小林)、「思想があるのかないのか。突きつけて欲しい。こちらが古いのかも知れないけど、自分の意思で一枚ずつ見たい」(平木)。
中山/「イメージ批判かと思ったのに、自分の作品をイメージと呼ぶのか。内容は悪くないけど、ピントがね。人を撮ろうとしているのはいいですね」(金村)、「僕もやっぱり、写真家として、いちばん気にするのはピント。デジカメはピントが合い難いから、余程こだわりないと。逆に精度から外れた荒っぽさが、すごいな、とも思わされる」(小林)、「中山さんは、写真は好きだけど、カメラは好きじゃないのでは? この街に対しても、好きでも嫌いでもない冷ややかな視線を感じる。個人的には、写真をくっつけて展示するのは、好きじゃない」(葛西)。
望月/「懐かしいだけでなく気配が撮れてるから、カラーコピーで見せるのは残念」(葛西)、「うまい写真だけど、その情緒っぽさが気になる。光や影、リリシズムを作り過ぎ。若いんだから、写真の文脈に逃げ込まず、未来へ飛び出てみせてほしい」(小林)、「はまり過ぎのタイトルとは別の可能性の写真も入ってる。自分でそれに気がつかず押し込めているようだ」(金村)、「ノスタルジーやリリシズムに埋没してるとは思わない。僕らにも共感できる情緒性がある」(平木)。
鏡/「この一年でも、観光地の風景が変化してきた、観光客がみな携帯を使って写真を撮るようになってきた、と彼はいう。半年もしたら全員デジカメで写している人が被写体で、内容がパターン化しちゃう恐ろしさはありますが」(大迫)、「そういう意味ではいまの時代が出てる。男の子らしい(積極果敢な)外向性はいいけど、10年、20年は続けてもらわないと」(小林)、「切り込み感は好きですよ」(平木)。
佐藤/「点数並べたいっていう人ですよね。壁で見せる写真なのかな。面白いものの紹介者として、終わっていいの?」(金村)、「何を撮っても一定の距離感覚があって、小林さんが、かつてのランドスケープ写真を思い出す、と言ったのが理解できる。センスというか、好ましい神経を感じます」(葛西)、「僕はむしろその'90年代のニオイに懐疑的なんだけど」(小林)。
元木/「前回も完成度が高かったが、今度の作品を見て嬉しかった。プロではないけど100%、写真に重きを置いている覚悟の強さを見上げた。写真の並べ方も説明できない、いいセンスがある」(葛西)、「牛を撮った前作は、女性版ラルティーグのような、イノセントな視線を感じた。写真家の直感ですごい才能だと思った。今回も、大学を蝶々が飛び回って撮っているようなすごい写真」(小林)、「目じゃなく、指先に目を移したような写真だ。ナラティヴ(語り)が様々な面で交錯していて、うまい。こわい」(平木)、「この人、いいと思います。写真家になると一生、不必要に悩みそうなのが可哀相。ノーファインダーで撮るのはやめた方がいいと個人的には思う、デジタルだからしようがないけど。自分の中で、モラルを持って欲しい。そういうのある人だろうから」(金村)。
戸田/「今回唯一、ストーリーがある作品。他人事なんだけど、心に届く」(平木)、「写真に情報量があるから、凝ったフレームは不要」(大迫)、「サービス過剰というか、自分で説明してるというか、絞ったらこれ、凄くいいと思うんですよねぇ」(金村)、「一緒に寝泊りしている感じが出ている点、他の作品にはない」(葛西)。
増山/「作為がないというのかなぁ、何やりたいんだか、さっぱり判らないのが凄い」(金村)、「ホメてるの?」(平木)、「ホメてますよ!」(金村)、「はからずも、の良さが出てる」(葛西)、「気弱な写真だね」(平木)、「正面は怖いとか、ちゃんと自分で撮れないものが判ってて、決めてる」(金村)。
菊地/「展示が6枚だけというのは、ちょっと絞り過ぎたね」(平木)、「彼の面白いのは、ミーハーな宗教観。くさいパターンだけど、イヤじゃない」(金村)、「若い人は南国よりの写真が多いんだけど、この人は北に向かってる。写真はなんだか、いいんですよね」(葛西)。
オノ/「一緒に住んで撮ってると思えない、距離感が保たれて快い」(葛西)、「家族もカメラ意識してない」(小林)、「踏み込んでいかない節度」(大迫)、「年数重ねることで、そうさせたのかも知れない。ただこれから昆虫、撮りたいっていうのは、なんでかなあ」(金村)、「写真やってたら他のもの、撮りたくならない?」(平木)、「なりませんねぇ……」(金村)。一同笑。
20:30 審査員は一人3票ずつ候補者に投票し、さらに次点も発表。
葛西:○=望月、佐藤、元木 △=戸田、増山、オノ
金村:○=元木、菊地、オノ △=佐藤、増山
小林:○=鏡、元木、増山 △=かんの、オノ
平木:○=鏡、元木、オノ △=望月、佐藤、戸田
大迫:○=佐藤、元木、増山 △=望月、鏡、戸田 ※△は次点
集計すると、
元木5票、鏡2票、佐藤2票、増山2票、オノ2票、望月1票、菊地1票。
……第22回グランプリは、満場一致で元木美由紀さんに、決定!
元木:「有難うございます! ガツっとやらせて頂きます!!」
「前回とカメラ持ち替えて、中味もガラっと変わった。撮るものが変わるのは素晴らしい。『学籍番号』というタイトルもアウシュビッツみたい」(金村)、「すごくよく出来てる。写真はこれからどこ行くか、少し不安はよぎってるの。小林さんはいま節目ですから、変わり目だからっていうんだけど」(平木)、「デジタルカメラ使って、本格的に表現やってる人は、まだまだ少ないと思う。その上、若いんだから、今後の力作を期待します」(小林)、「女の子写真が流行った一時期、出品傾向が皆、似通ってしまったような怖さは、これからもある。やはりオリジナリティが最後、議論になると思う」(大迫)、「目先の新
しさに惑わされないで」(葛西)、「新しいものをやらなきゃという強迫観念自体は、ちっとも目新しくない。百年後、千年後に残る作品をつくろうということが根本。そんな心意気で、元木さんにも頑張って欲しい」(金村)。
「写真のよしあしだけで、話せるようになりたい…」
20:50 審査会後、展覧会場にもどってのオープニング・パーティー。作品展示された壁面に囲まれ、立錐の余地のない満員盛況。出品者、来訪者の多くが、近い年齢のせいか、どこでも会話が弾んでいる。間を縫って、個々の出品者に、審査後の感想を尋ねた。最初に、言葉での説明は得意でないという、グランプリの元木さん「いまの時代のぶっ飛んだスピード感についていきたくて、デジカメにしました。撮影も展示も、ガガガっと作曲するように、だけど繊細にいきたい。制作に関しては、これからも悩むと思う」。
今回出品者に共通するのは、必ずしも全員、プレゼンテーションに秀でているのではなかったこと。裏返せば、制作技法・主題・展示までそろって一体の作品強度が、きびしく点検される結果となった。前回は分量の少なさから「真剣さ」に疑問を抱かれ、悔しい思いをした元木さん。今度こそ、決意のほどを作品で実証してみせた。その一方、「デジカメと銀塩の比較論が、作品審査上、これほど重視されるのは意外」だと考える出品者が、決して少なくはなかった。かんのさんは「モニター画像のクォリティを指摘されるのは、予測外だった」といい、「完成度も勿論、重要だと思ったけれど、ささいなものを掬い上げられる力を、この先も維持して続けたい」と話す。中山さんは、「(デジカメは)デジタルかアナログか(という二元的な問題)とは関係なく、科学の進展や時代と結びついて、避けられない。自分の作品のため、どうしても銀塩の技術が不可欠なら、振り返って学ぶ。だが、ずっと先の将来から見たら、消失するものだから」という。増山さんは「そうなると思っていたけど、その話は多かった。いろんなタイプの作品があり、突っ込まれどころが、思ったのと違ってて面白かった。自分の作品は、わざと画素数粗くしたり、想像する作品に合わそうとするより、かけ離れたものがいいと思ってやった。そこをいい意味で受け取ってもらえた」。佐藤さんは議論を「そんなものかなぁ、と思って聞いていました」。このあとアルバイトをやめて、写真に没入していくつもり。1枚1枚を意識した展示の仕方も、見直していきたいと話す。菊地さんは「写真のよしあしだけで、話が出来るときが早くくるといいな。今回は初展示というだけで満足してしまったところもある。真面目でないのがいいといわれ、考え直した」。鏡さんは、発言内容を「ジャズの即興演奏のようだ」と評され、会場を笑いで湧かせたが、「写真ってこれまで残すことばかりに、集中してきた。もっと消しちゃってもいい。流動的にイマを見なくちゃ」。かなり逆説的だが、確かにその提起は、デジタル世代の実感だろうか。戸田さんも、笑いとともに会場を和やかなムードで包んだ。「お尻が痛くて、途中まで逃げ出したくて(笑)。でも、いいところを見てもらった。満足です」。「『ひとつぼ展』の血のめぐりをよくしてやろう」と挑戦的に乗り込んだと話す、望月さん。もくろみは果たせましたか? 照れ臭そうにする。「賞を気にしつつも、飛び越えて進んでいき
たい。出品者は皆、同じ意気込みを抱いたんじゃないかな?」。
確実に審査員より若い出品者達にとって、デジカメはそれほどまで「新奇な」メカではないかもしれない。当然目の前にある選択肢の一つとして手にとり、その制御がまだ十分でない。だが、さすが審査に残った10名の作品は、機械任せにはしゃぐことなく、禁欲、抑制も意識できているように見受けられたが、どうだろう。審査員のメッセージは、親心から、というのではなく、プロフェッショナルとして必須の注意事項を、様々な角度から喚起させるもの。直感、感性、発案の豊かさを作品に結実させるには「経験」がどのように重要なのか、あらためて気づかせてくれた。デジカメを使うことが「制作意識をプリミティヴにする」弊害も持つことを鋭く観察した金村さん。議論もまた、意外やデジタルの出現が、写真の原始(近代)を再考させ、問い直させる誘引材料とも化した、今回の審査。出品者の意識も、評者のポジションも、じわじわ炙り出され、動きを目の当たりにする現在進行形。到底この時点で、すべての決着はつかない。次回へと引き継がれる、興味が尽きない審査・展覧会となった。
水面下では魚影の群れが移動している。写真の潮流は、どちらへと向かう?
<文中一部敬称略 取材・文/櫛引万紀>